上映作品
短編1短編セレクション1(受賞作品特集) 上映時間112分
2月25日(土)12:15 / 3月3日(金)10:00
◎舞台挨拶
▶︎2/25(土)12:15の回 上映後
登壇:清水亮司監督
オンライン登壇:セ・アル・マムン監督監督
ビデオメッセージ:ディーター・デズワルデ監督
▶︎3/3日(金)10:00の回 上映後
オンライン登壇:清水亮司監督
ビデオメッセージ:ディーター・デズワルデ監督
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作品1
火曜日のジェームズ 上映時間24分
母の末期がんが宣告された。刻一刻と時間が削れていく、母と息子の6ヶ月に渡る記録ドキュメンタリー。母との別れを苦しむ中、監督が選んだ相談相手はAIのジェームズ。ジェームズは頼もしく、正直で知りたがりな「友人」である。母が亡くなる上で、この世にない悲しみという感情をAIと共有していくうちに二人だけの会話が生まれ、テクノロジーと人間の世界を知る。
(*短編部門コンペティション グランプリ )日本語版 2021年/24分
監督のことば
この度は東京ドキュメンタリー映画祭2022年に出品させて頂き大変光栄に思います。『火曜日のジェームズ』は私の心に常にある大切な作品で、人生で辛い大きな壁を乗り越えなければいけない時期でした。自分が経験したことが共有できることを、大変嬉しく思います。悲しみと寄り添いの、意味や言葉にできない感情を観客の皆様がどう受け取るか?フィードバックを楽しみにしています。
監督プロフィール
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ディーター・デズワルデ
ロンドン在住ベルギー人監督。2020年 ウィーン国際ドキュメンタリーフェスティバル「Ethnocinema」ショート部門にて公式ノミネート。2014年 Visions du Reél (ニヨン・スイス)審査員賞受賞。UCLの大学院生として学ぶ傍、同校で民族誌学とドキュメンタリー映画の講師を勤める。またYarrow filmsでは共同制作の監督として加わり、社会的不名誉について出演者と制作の共同作品を生み出す。2020年にはLGBTQ+ の難民団体を出演者として招き映画『Hazte Sentir』を撮る。ベネズエラのBFI Flare 映画祭やほか国際映画祭などで上映された。
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作品2
「遺言」 〜呉服店 二代目が七十六年、思い続けること〜 上映時間28分
『「遺言」 〜呉服店 二代目が七十六年、思い続けること〜』は時代の証言者の半生とその記憶の中にある歴史をとりあげる。下町を生きた男による街の姿の変化や戦争の記録、戦後日本を取り上げる語りは文化・風俗・商業・戦災といったキーワードで興味深い情報を含む。それらが昇華される最後の一市民の未来への発言は圧巻だ。
(*短編部門コンペティション 観客賞)2022年/28分
監督のことば
出演されている平澤さんから「僕の遺言を撮影してくれないだろうか」という電話を頂いたのは2021年の夏の終わり。無碍には断りにくい話ではあるものの当初は適当に撮ってササッと仕上げて...などと考えながらインタビュー撮影を始めるといつの間にか自分もカメラマンの佐々木さんもその「遺言」の気迫と内容に完全に圧倒されていました。この映像作りの旅はその瞬間からスタートしました。
監督プロフィール
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清水亮司
1961年生まれ、映像制作会社テレコム・ジャパンを経て、1991年ロボット入社。映像ディレクター/クリエイティブ・ディレクターとして展示映像、TVCMなどを手がける。ミツカンミュージアムMIM 映像総合演出(映文連経済産業大臣賞受賞)岐阜県 関ケ原古戦場記念館シアター映像総合演出(映文連部門優秀賞受賞)ACC賞, ADC賞などTVCMの受賞歴も多数。
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作品3
待ちのぞむ 上映時間60分
1971年、バングラデシュはパキスタンからの独立戦争で大きな被害を被った。バングラデシュの初代大統領は戦争中で性暴行被害を受けた女性たちに“ビランガナ”=「勇敢な女性たち」という名をつけ敬意を表した。だが彼女たちは戦後、何の補償もないまま、地域社会から虐げられてきた。監督はいまソウル市日本大使館前の「平和の少女像」前に立ち、慰安婦として傷を負った女性たちを思う。勇敢な彼女達に会うため、監督はバングラデシュに旅立つ。
(*短編部門コンペティション 準グランプリ)2021年/60分
監督のことば
私は 2009 年に韓国に帰化したバングラデシュ人です。韓国に住むうちに、朝鮮の日本統治時代に多くの女性が日本軍慰安婦として動員され、性奴隷となった事実を知ることになりました。そしてそれは私にバングラデシュの「ビランガナ」を思い起こさせました。日本軍慰安婦について被害女性自身が直接語る事によって社会に知られ始めたように、バングラデシュで起こった戦争の強姦被害にあった女性たちの話を、彼女たちの声に直接込めて知らせたいと思い、このドキュメンタリーを企画しました。
監督プロフィール
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セ・アル・マムン
1974 年、バングラデシュのダッカ生まれ。大学生だった1998 年に韓国へ移住。2001 年から移住労働者人権運動へ身を投じる。2012 年から文化芸術活動を始め、短編映画を作り始める。現在は移住民文化芸術団体「アジア メディア カルチャー ファクトリー」を立ち上げ活動している。