上映作品
特集台湾記録片B 上映時間108分
12月19日(金)12:00
1900〜1907年にかけて先住民族タイヤルは伝統法「ガガ(Gaga)」を守りながら日本の統治に抵抗した。この知られざる「トパ戦争」を子孫である監督が描いた『火種を再燃させる』。1945年に志願兵となり、朝鮮で敗戦を迎えた後、3年半にわたってシベリアに抑留された台湾出身の元日本兵の波乱の人生を捉えた『いつの日にか帰らん』。台湾と日本の歴史の狭間に生きた人たちの記録。
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作品1
火種を再燃させるー1900〜1907年のトパ戦争ー 上映時間53分
台湾の統治を始めた大日本帝国は、先住民族に対する侵略を開始した。1900〜1907年に起きた「トパ戦争」で、タイヤル族は伝統法である「ガガ(Gaga)」を守りながら抵抗の精神を示し、祖先の故郷であるトパ共同体を防衛した。タイヤル族にルーツを持つ監督が各地を訪ねて歴史事実と証言を積み重ねることで、この忘れられた抵抗が像を結んでいく。映画作家の曾宇平と現代美術家で研究者でもある高俊宏の共同監督作品。
原題:《重燃之燼》1900 - 1907 大豹社抗日戰爭 (“Rekindling the Embers” The Topa War, 1900-1907)2025年/53分/台湾
監督のことば
トパ共同体のすべての子孫と共有している私の目標は、先住民族の視点から島の真実の歴史を伝えることです。私の曽祖父ワタン・シャット(Watan Syat)は、植民地支配者への抵抗、そしてタイヤル族の尊厳と存続を守る上で重要な役割を果たしました。先住民族と台湾人の双方の観客がこの英雄、そして犠牲となった名もなき祖先たちを記憶に留めてくれることを願っています。この物語が記憶され続ける限り、トパの精神は台湾の集合的記憶の中で生き続けるでしょう。コミュニティアドバイザーの皆様、『トパ事件』の著者である藤井志津枝教授、そして山河を越えて共に歩んでくれた制作チームに深く感謝します。彼らの支えによって私の見識は広がりました。最後に、この物語を探求する道を開いてくれた母、ワギ・シャヤク(Wagi Shyac)に感謝します。母がいなければ、映画作家は存在せず、ただの子孫にすぎなかったでしょう。曾宇平(ベヒュー・マサオ)
トパのコミュニティへの帰還は長い旅路でした。子孫や学者たちと共にこの道を歩み、帰還の痕跡を探求できたことを光栄に思います。この映画は、その帰郷の旅路を映し出すと同時に、我々の民が暗闇の中で一世紀以上にわたって背負ってきた血と涙を明らかにしました。カメラを通して、これらの隠された記憶が歴史のきらめきとして浮かび上がり、未来への道を照らし出します。
高俊宏(ガオ・ジンホン)
監督プロフィール

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曾宇平(ベヒュー・マサオ) 、高俊宏(ガオ・ジンホン)
曾宇平(ベヒュー・マサオ)
新竹県尖石郷出身のタイヤル族の映画作家。母方の祖先はトパ共同体に連なる。現在はフリーランスの映像作家として、先住民族文化と人権に焦点を当て、集団的記憶の保存と現代課題の探求を、映像による物語で追求している。高俊宏(ガオ・ジンホン)
現代美術家・研究者。国立高雄師範大学学際芸術大学院助教授。1995年以来、台湾および海外で数多くの個展やグループ展を開催し、香港、フランス、イギリス、緑島でのビエンナーレやアーティスト・レジデンスに参加している。
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作品2
いつの日にか帰らん 上映時間55分
台湾・新竹の農村で育った賴興煬(ライ・シンヤン)氏は、1945年に日本軍に志願して第二次世界大戦に従軍した。北朝鮮の元山で敗戦を迎えると、ソ連軍の捕虜となり、シベリアの収容所で3年半にわたる過酷な労働を強いられた。解放後に送還されたのは日本の舞鶴港。苦労の末に故郷の台湾へ戻ったものの、二二八事件に遭遇する…。日本政府から謝罪も補償も一切受けられなかったある台湾出身の元日本兵のオーラルヒストリー、そしてシベリアへの再訪を描く。台北教育大学で教鞭をとるアーティスト・写真家の楊孟哲(ヤン・メンシェ)が、教え子と共同して制作した。
原題:有一天我會回家(One Day I'll Return Home:The story of Lai Xing-yang in a Siberian labor camp)2022年/55分/台湾
監督のことば
「いつの日にか帰らん」は、もともと大学の研究所によるオーラルヒストリーの記録でしたが、運命がこれをドキュメンタリー映画へと昇華させ、主人公をシベリアへと連れ戻しました。顧みられることのなかった退役軍人・賴興焬氏のシベリアでの強制労働の物語を描いています。 青春と死の衝突! 生きていくが故の苦しみだったかもしれませんが、それに見合う報いがあるべきでした。 「日本帝国主義」の時代に育つということ! 人はみな平等であるはずなのに、台湾人は生まれながら苦労を背負う運命でした。 不幸にもそんな時代に身を置いたのです。 揺るぎない忍耐力で、彼は生き延びました。 シベリアの強制労働収容所で死なずに済んだのは幸運でした。 「いつの日にか故郷に帰らん」と信じて生き延びました。 本作は、台湾政府からの資金提供を受けていません。 台北教育大学の楊孟哲研究室の教員と学生による共同作品です
監督プロフィール

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楊孟哲(ヤン・モンチー)
1958年台湾、宜蘭生まれ。大阪芸術大学写真学科、東京学芸大学教育学部大学院を経て、現在は国立台北教育大学デジタルテクノロジーデザイン学科専任教授。ライフワークとして、シベリアに連行された台湾人日本兵の歴史を調査、自費で何度もシベリアに赴き、台湾人兵士が収容所に送られた場所をすべて訪問する。頼興洋氏は、調査した9人の台湾人兵士の中で唯一の生存者でもあった。







